のれんの本染めとは、正確な意味を知ろうと辞書を調べてみてもなかなか見つけることができない言葉であると言ってよいでしょう。
この業界でのれんのオーダー本染めという言葉が使われている理由は、
機械によって染める方法とは異なり、職人の手作業による
染めの方法であることを示すためです。
後者の方法こそ、日本古来の伝統的な技法であり、
なおかつ本物の染物のれんであると考えられているのです。
大量生産が可能であり、なおかつデザインの面でも
均一性があるというメリットで知られているのが
機械による方法ですが、この本染めには機械を使って
染めた物にはない魅力があると言われています。
何と言っても一番の魅力と言えば、どこかしら温かみや
懐かしささえ感じるような色合いののれんが完成するという点でしょう。その他シルクスクリーンという技法もあります。
上述した通り、京都のれんオーダーの本染めでは職人が手作業で
丁寧に染めていくのれんであるため、一枚一枚ののれんは
全く同じ出来上がりになるわけではありません。
それぞれに微妙な違いが生じるため、まさに世界に一枚しか
ないデザインになると言っても過言ではないのです。
これは、型を使って大量に製造された湯呑みと、手造りの湯呑みとでは
出来上がりの温かみが違うように、のれんの場合も
やはり同様のことが言えるというわけです。
では最適なのれんはどのようなものでしょうか?
加えて本染めにおいては、化学染料ではなく天然染料が
主に使われているため、使い込むにつれて風合いが増し、
味が出てきます。
使うたびに愛着が湧いてくること間違いなしです。
明治時代までは藍染めや草木染めが中心だった!染の歴史をご紹介
日本での染色の歴史は古く、縄文時代から植物や貝紫などで染色が行われてきました。
飛鳥時代には、中国や朝鮮の染色技術が入ってくるようになったことから、日本の草木染めが発展していくこととなります。
出雲族が日本で最初にタデ藍を栽培したと言われていて、法隆寺や正倉院にはこのころに染められた多数の布地が現在まで保存されています。
染色の技術が発達したことで冠位十二階によって位で服の色が決められるようになったり、原色のようなはっきりとした色彩が求められるようになります。
1549年になると、戦国時代まで主流となっていた水に葉藍を漬けて染め液を作る手法からすくもを作る手法に変わります。
安土桃山時代には、藍の栽培や藍染めが保護されたため、庶民の暮らしに藍染めが浸透し、江戸時代には作業着から高級衣装に至るまで、広く人々の生活に浸透していました。明治時代に入ってからは、藍の紺色が基本色となるほど生活の中心となっていましたが、明治30年に化学染料が輸入されると、これまで主流だった植物染料のほとんどが化学染料へと代わってしまいます。安価で安く染まるインドアイや合成化学染料が登場してからは、国内の生産量が激減し、染料の世界は大きな変革を迎えることとなるのです。